悲劇というと、シェークスピアの作品を思い浮かべたり、カタルシスという言葉で語られたりすることが多いかもしれない。実際に、悲劇を見ると悲しい経験が思い起こされたり、自分だったらどうなんだろうと考えたりと、内面でいろいろな刺激があるのも事実。
しかし――
どうして忘れられないのだろうか?
どうして心に沁みついてしまうのだろうか?
もしかすると、悲劇の方が幸福の物語よりも、現実味があるからかもしれない。悲劇の舞台はいつだって人間起点で起こっている。誰かの判断(もしくは幸福)で、誰かに悲劇が舞い降りている。そう、みんな知っているのだろう。幸福の裏には必ず悲劇がある。そして、幸福を受ける人よりも、悲劇が舞い降りる人の方が多いことを……。
そもそも、幸福と感じることがらは主観に大きく依存した個人的な出来事で、悲劇と感じることがらは客観的で、かつ論理的に導かれる環境依存の出来事。つまりは、苦痛と感じることがらや、痛みを伴う状況は誰にとってもだいたい悲劇。しかし幸福と感じる出来事は、人それぞれで感じ方が違うのかもしれない。
そういう意味では、悲劇の方がやはり他人ごとにならない物語であるのに対して、幸福の物語は多くの人が置かれている環境で捉え方が変わってしまう。
では――
どうして悲劇の物語が少ないのか?
どうして悲劇が心に残るのか?
それは、悲劇は結末がある程度、予想されるから。そして、悲劇は人間関係から始まって、痛みや別れなど物理的な展開に発展するから。
誰かの選択が、誰かの痛みになる。みんな知っているから、他人ごとにできない。だからこそ、誰かの物語が自分の物語に見えてくる。そして、自分の記憶に残ってしまう。
物語は終わる。けれど、悲劇はどこかで続いている。ということなのかもしれない。
以上
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