「読書って、結局どんな意味があるんだろう?」
忙しい日々の中で、本を開こうとして、ふとそんな疑問が浮かぶことがある。時間を使ってまで本を読む意味はあるのか。役に立つなら読みたいが、役に立たないなら後回しにしてしまう──そんな感覚を覚えたことはないだろうか。
インターネットで「読書 意味」と検索すると、読書のメリットや効果を説明する記事が数多く見つかる。知識が増える、語彙力が上がる、思考力が鍛えられる、人生が変わる。けれど、それらを知っていても、なぜか本を手に取れない日がある。
もしかすると私たちは、読書の意味を『役に立つかどうか』だけで測ろうとしているのかもしれない。まずは、一般的に語られている読書の意味、いわゆる通説から整理してみよう。
読書の意味として語られていること
一般的に、読書の意味は「知識を得ること」や「能力を高めること」として説明されることが多い。ビジネス書であれば仕事に役立つ知識、小説であっても語彙力や読解力の向上につながると考えられている。
読書は知識を得ること?
読書には思考力を鍛える効果があるとも言われる。文章を読み、内容を理解し、情報同士の関係を整理する行為そのものが、論理的思考力を養うトレーニングになるという考え方だ。この文脈では、読書は『頭を良くする習慣』として位置づけられる。
読書は能力を高めること?
読書は能力を高める事――そして、人生を豊かにするものだ、という語られ方もされる。成功者は本を読んでいる、読書量が多い人ほど視野が広い、という事例が紹介され、本を読むことが人格形成や価値観の成熟につながると説明されることも多い。
こうした通説に共通しているのは、読書の意味が『成果』や『変化』と結びつけられている点だ。読書をすれば何かが身につき、今の自分より成長できる。だから読書には意味がある──そう考えられている。
一方で、この考え方に息苦しさを感じる人も少なくない。意味や効果を求めすぎることで、読書そのものが負担になってしまうからだ。
読書に意味はありますか?
色々なコンテンツがあふれる現代では、『読書』というだけで、どこか意識が高く、格式が高い行為だというイメージはないだろうか?
私もずっとそう思っていた。学校で国語という教科があるように勉強の一種としてとらえていたのは否定しない。しかしながら、今ではもっと違った行為ではないかと考えることもある。
この際、知識の習得や読解力の向上と言った小難しい話は棚にしまっておこう。たとえば、物語を知るには動画を見たり、漫画を読んだりするのが主流だと思う。しかしながら、これらは体験に特化している反面、消費が早いのも事実としてある。
私はそのあたりに気が付いた事から、活字で物語を読んでみた。正直に言うと、体力とか集中力とかを使うのは否めない。一方で、凝縮された一冊を長く楽しめる点、さらにはキャラクターや風景が空想にもとづいて自分だけのものになるという点に魅力を感じた記憶が蘇る。
つまりは動画や漫画が「体験を受け取る行為」だとすれば、活字の読書は「体験を自分の中で組み立てる行為」なのかもしれない。
そこに意味があるのか?
と問われれば、『ない』と答えてしまいそうにもなる。しかしながら、意味ばかりを考えていては疲れはしないか?とも問いかけたくなる。
では、読書に意味はありますか?と問われれば――
条件付きで『ない』と答える方が、私は楽だと感じる。
意味などを求めずに、読書でしか体験できない事柄にも触れてみる。すると、後天的に色々なことにつながっていく。くらいのイメージで触れてみるのも悪くないかと、私は思っている。
まとめ
今回は読書の意味について、通説と考察を述べていった。
読書=意味を求めるのではない、読書=自分だけの物語を大切にする機会、という感じで触れてみるのも悪くないと思っている。
では、最後に一言。
『みなさんも自分だけの世界に入って、浸ってみてはいかがだろうか?』
きっと、その先に意味を求めなくても良い世界が待っているかもしれないから。
以上

