読書に疲れるのはなぜ?本を読むと疲れてしまう理由を整理してみる

読書ラボ
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「最近、本を読むと疲れてしまう」

そんな感覚を覚えたことはないだろうか。以前は楽しめていたはずなのに、ページが進まない。集中できない。気合を入れないと読めない。気づけば、読書そのものが負担のように感じられることもある。

読書は本来、知的で前向きな行為として語られがちだ。だからこそ、「疲れる」と感じる自分に、どこか後ろめたさを抱いてしまう人も少なくない。

けれど、読書に疲れる感覚は、本当に“悪いこと”なのだろうか。まずは、一般的にどのような理由で「読書は疲れる」と言われているのか、通説から整理してみたい。

読書が疲れると言われる理由

一般的に、読書が疲れる理由としてよく挙げられるのは、集中力や脳の負荷に関するものだ。文字情報を追い、内容を理解し、場面や人物を頭の中で再構成する読書は、想像以上にエネルギーを使う行為だと言われている。

じっくり向き合う必要がある

特に現代では、動画やSNSのように、短時間で直感的に情報を受け取るコンテンツに慣れている人が多い。
そのため、一定時間じっくりと文章に向き合う読書は、集中力を強く要求され、結果として疲労感につながりやすいとされている。

目的意識が疲れさせる

読書をしているさなか――
「ちゃんと読まなければならない」
「内容を理解しなければ意味がない」

といった意識も、読書を疲れさせる要因として語られることが多い。知識を得るため、成長するため、役に立てるため──そうした目的意識が強いほど、読書は無意識のうちに“課題”に近づいていく。
さらに、年齢や生活環境の変化も影響すると言われている。仕事や家庭で頭を使う時間が増えれば、読書に割ける集中力が減るのは自然なことだ。

こうした説明では、読書に疲れるのは「環境」や「能力」の問題として整理されることが多い。つまり、読書は本来価値のある行為であり、疲れてしまうのは自分側の事情だ、という理解が前提になっているとも言える。

本当に自分だけが原因だろうか?

読書は疲れるのか?と問われれば――
疲れるに決まっていると、私は答えてしまう。

しかし、それはあなたが原因か?と問われれば――
そうとも言えないだろうと、私は答えるだろう。

何を隠そう、私は読書が苦手である。というよりも、読むスピードがめちゃくちゃ遅い。そのためか、読書をするためには高い集中力を要求され、そのうえ物音があったりすると途端に読めなくなってしまう。

これだけ聞くと、私自身に原因があると思うかもしれない。

しかしながら、こんな私でもちゃんと読める本は確かに存在するのだ。具体例は割愛するが、それらの本には、読書の疲れを必要以上に増やさない――いわゆるノイズを減らす工夫が感じられる。

読書にとってのノイズ。これは私だけかもしれないが、たとえば常用漢字ではないであろう難しい漢字の羅列、まわりくど過ぎる比喩の連続、これらは読書中の頭を物語から遠い所へと追いやってしまう要素なのではないかと考えている。

上記が必ずしも悪いという訳ではない。物語の世界観やスピード感の調整に用いられているケースもあるだろう。しかし、その意図すら感じない文章はやはりノイズとして受け取ってしまいがちなのである。

これは好みの問題で、好みはやはり自分が原因ではないか?
という声が聞こえてきそうだ。

しかし、これだけは言いたい。

読書は娯楽の一つであって、強要されるものでも、ましてや原因を責められる類のものでもない。そして、その延長線上に学びがあるというのも、他の娯楽と何ら変わりないと思っている。

作家である私としては耳を塞ぎたくなるのだが、読者としての私の声には嘘は付けない。そう言いながら、小説を書いている私もまた矛盾している気もするのだが……。

まとめ

今回は、読書が疲れる理由と題して通説と考察を述べた。

読書は集中力を要求されるし、正直言って疲れる。けれども、それを理由に遠ざけたり、強要したりするのは正しいとは思わない。

だから、難しく考えずに、触れてみるくらいの距離感で読んでみるとよいのではないだろうか?

そんな提案だけを置いておこうと思う。
きっと、疲れたとしても、心地良いこともあるはずだから。

以上

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