本を読んでも、内容が頭に入らない。
そんな経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。
せっかく本を開いたのに、気がつけばページだけが進んでいる。
読んだはずなのに、何が書いてあったのか思い出せない。
そんなとき、「自分は読書が苦手なのかもしれない」と感じることもあるかもしれません。
しかしながら、読書は知識を得るための行為だと言われることが多いのも事実。そのため、「理解できない読書」は、どこか失敗のように思えてしまうこともあります。
しかし本当に、読書とは「理解できること」が前提なのでしょうか。
今回は、読書しても頭に入らないと感じる理由について、少しだけ考えてみたいと思います。
通説|読書をしても内容が頭に入らない理由
一般的に、読書の内容が頭に入らない理由はいくつかあるとされています。
まずよく挙げられるのは、集中力の問題です。
スマートフォンやSNSなど、気を散らすものが多い現代では、一つの文章に長く集中することが難しくなっていると言われています。読書中に別のことを考えてしまい、内容が頭に入らないという経験は、多くの人が持っているものです。
また、本の難易度が合っていないという理由もよく指摘されます。専門書や難しい文章の場合、前提知識が不足していると理解が追いつかず、結果として内容が頭に入らないように感じてしまうことがあります。
さらに、読み方そのものの問題があるという考え方もあります。
例えば速読を意識しすぎたり、要点を整理しながら読む習慣がなかったりすると、文章を追っているだけで理解が深まらないこともあると言われています。
このように、読書が頭に入らない理由は、集中力・難易度・読み方など、さまざまな要因で説明されることが多いようです。
しかし一方で、そもそも「読書とは理解するものだ」という前提自体を、少し疑ってみることもできるかもしれません。
読書しても頭に入らないのは失敗なのか?
この答えは、半分正解で、半分思い違いかもしれません。例えば、参考書・専門書の場合は理解することを前提に書かれています。理由は明白で、読者はある事柄を理解し、何かに使うため(もしくは教養として)読むケースがほとんどだからに他なりません。
しかし、読書はそれだけではありません。感じるままに読んで、想像を膨らます物語というものも存在します。物語では、感じるままに読んで、理解すればより面白いという作品が理想だと推察されます。
なぜならば――
私が『読書中に別のことを考えてしまい、内容が頭に入らないという経験』の持ち主だからに他なりません。時々、本を読んでいる最中、本の内容や言葉に紐づいた何かしらを思い浮かべて、いつの間にか空想の世界に入っていることがあります。
そして、気付けばページだけ進んでいて、内容が頭に入っていないのです。(そして、空想前のページに戻って、読み返すまでがセットとなります)
では、これは非難されるべきものか?
失敗のレッテルを張られて良いものなのか?
仮に読書の目的が仕事や試験のために使っているのなら、失敗と位置付けることができるかもしれません。しかし、それは仕事や試験の失敗であって読書の失敗ではありません。
読書の中で考えたこと、思い浮かべたことにより、考えが深まったり、広がったり、はたまた記憶の定着にもつながったりと、決して失敗とは言えない要素もたくさんあるからです。
だから、読書の質や速度に優劣などはありません。それを自慢するなど以ての外です。大切なのは、読書によって何かを『知る』『感じる』『考える』『思い浮かべる』などを楽しむことかもしれません。
そう、これが読書中に違うことを考えてしまう作家からのメッセージです。
まとめ
今回は、読書が頭に入ってこない理由と題して通説をまとめ、メッセージを添えました。
読書にはいろいろな形があります。理解する読書もあれば、感じる読書もある。もし本を読んでいて、別のことを思い浮かべたとしても、それはきっと読書の一部です。
では一言。
みなさんは、読書中にどんなことを思い浮かべてしまいますか?
この問いで浮かんだ言葉が、読書を楽しむヒントになるかもしれません。
以上
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